作家の野坂昭如さんがお亡くなりになったニュースが入ってきました。有名なところでは映画化された著書「火垂るの墓」が直木賞を受賞されています。日本は戦争を経験して、戦争のことを世の中に伝えていた貴重な人を亡くしたことになります。
そんな野坂昭如さんですが、有名なのは大島渚と殴り合ったハプニング。さまざまなテレビで何度も流されていますが、その真相は一体どういう理由だったのでしょうか?
野坂昭如さんとは?
<プロフィール>
生年月日:昭和5年10月10日享年85歳
出身地:神奈川県鎌倉市
職業:作家、歌手、作詞家、放送作家、タレント、政治家
学歴:早稲田大学
大学在学中さまざまな職業を経験して、CMソング、コント、テレビ台本などを書いていました。
戦争経験から執筆した「火垂るの墓」「アメリカひじき」で直木賞を受賞している作家さんです。
しかし、作家だけにはとどまらず「おもちゃのチャチャチャ」でレコード大賞作詞賞を受賞したり、政治家だったりとかなり多才な人だったんです。
引用元:http://nosakaakiyuki.com/
野坂昭如さんが大島渚を殴って喧嘩になった理由とは?
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事件の現場になったのは1990年10月、映画監督の故大島渚さんと奥様小山明子さんの結婚40周年のパーティー会場である港区の東京プリンスホテル。
野坂昭如さんは祝賀スピーチをする予定でした。きっちりと原稿を書いて準備をしていた野坂昭如さん。そんな野坂さんが帰ってしまったと誤解してしまった大島渚さんが、野坂昭如さんのスピーチの順番を飛ばしてしまいました。
そのことで、最初の予定よりスピーチの時間が遅くなってしまった野坂さん。イライラしながら何時間もスピーチを待っている間に、飲酒してひどく酔っ払い、やっと自分の番になった時には、ベロンベロン。
そして、壇上に上がった野坂さん。自分の後ろでスピーチを聞こうとしていた大島渚の顔をすごい勢いでパンチ!大島渚さんもマイクで反撃。印象的だったのは、大島渚さんの奥様小山明子さんが冷静に2人の喧嘩を止めていた場面でした。
この衝撃的な映像は、現在でもしばしば決定的瞬間なるテレビ番組の特番などで流されています。
のちに、誤解が解けて、2人は和解しています。
もちろん、誤解だったにせよ失礼なことをしてしまった大島渚さん。でも、殴るなんて、そこまでしなくても~と思いましたが、酔っ払っていたせいなのか、もともと短気な性格だったのか。歴史に残る大事件を引き落こしてしまったんですね。
まとめ
「火垂るの墓」の印象とかけ離れた大島渚さん殴打事件。きっと野坂さんは口下手な不器用な人だったのかなと思います。いずれにせよ、小説でも、それ以外でも世間に大きなインパクトを残した偉大な人であることには、変わりはないですね。