NHK朝ドラ「あさが来た」もいよいよ銀行を設立し、女子大学設立に話が動き始めます。ヒロインあさとともに大学設立に奔走する瀬戸康史演じる成澤泉ですが、実在の人物でモデルがいます。成瀬仁蔵というのですが、いったいどういう人物なのでしょうか?
成瀬仁蔵についてまとめてみました。
教育家の成瀬仁蔵の経歴とは?
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ヒロインあさのモデルの広岡浅子は、炭坑経営や銀行事業が軌道にのり、順風満帆になったころに、成瀬仁蔵に出会うことになります。彼は牧師出身の教育者でした。
成瀬は山口県の出身ですが、地元でも名高い教育家一族の出身だったので、教育の道へ進むのは自然だったようです。
若きころは、一般的に考えられていた「女性は男性より劣る」という思想でしたが19歳でキリスト教と出会い、人間は皆平等であると思想が一変します。
そして、大阪や新潟の女学校の教師となり牧師としても活動、そのかたわら女子教育についての研究も重ねていました。
そして32歳でアメリカに留学した経験から、日本にも高度な女子教育が必要であると考え、国内初の女子大学を創設したいと思うようになります。
実業家として全国を飛び回る浅子の前に現れる
女子大学を創設の実現に向けた活動を進める過程で、成瀬は広岡浅子に面談を申込み、協力を仰ぐのでした。
当時の広岡浅子は実業家として名を馳せていたので、各方面からの依頼が絶えない存在だったようです。そんな広岡が成瀬への協力を惜しまなかったのでしょうか?
それは成瀬が語った女子大学の夢が、長年女子も男子も同じように高等教育を受けられる場所が欲しいと考えていた浅子の希望の光になったからでした。
浅子はこのときに成瀬から手渡された「女子教育」という著書を筑豊の炭坑で何度も読み返したと言われています。
成瀬の夢に全面協力する広岡浅子
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浅子は成瀬の考えに賛同し、創立準備金として巨額の寄付を投じることになります。
しかもそれだけにとどまらずに、伊藤博文や大隈重信、西園寺公望、渋沢栄一といった当時の政財界の有力者たちに女子教育の必要性を説いて次々と設立に協力するようにしたのでした。
そして、その女子大学は日本女子大学と名付けられて1901年(明治34年)東京の目白台に開校しました。学校が建てられた土地は浅子の実家である三井家が提供したものでした。
大学設立後に広岡浅子は学生たちと積極的に交流を深めていたと言われています。